大正9年、熊本県でも有数の大地主である井芹康也氏が地元の宮原町(現・氷川町)に井芹銀行を設立しました。九州実業銀行を買収しスタートした井芹銀行は、大正14年に新たに本店を建設。写真左手の建物がその本店で、奥が天保3年(1832年)に建てられたとされる旧井芹家住宅です。
井芹銀行は昭和17年に肥後銀行と合併し、本店の建物は昭和44年まで肥後銀行宮原支店として使用されました。現在は「まちづくり情報銀行」として企画調整課の職員が常駐し、地元住民の交流の場となっているそうです。建物の特徴となっているパラペット中央部や柱頭の装飾がレトロなよい雰囲気を出していますが、設計・施工ともに地元の業者が行ったということが「特異な点」として案内板に紹介されています。旧井芹家住宅は個人の住宅として使用されていたものを、平成7年に町が買収し、現在はイベントや研修などに使われているそうです。
旧井芹家住宅の北側には隣接する商店との間に煉瓦で造られた立派な壁があります。このような敷地境界に煉瓦の壁が残る光景は今まで何度か見たことがあったのですが、私はずっと大きな勘違いをしていました。その勘違いとは、煉瓦の壁の意味です。私はずっと、隣の敷地には元々煉瓦の建物があり、それが取り壊されて敷地境界の壁だけが残ってしまい、このような状況になっているんだと思っていました。密集して建物があるところで見かけるので、境界の壁を隣同士で共用してしまった為に、片方が取り壊されると境界の“壁”だけが変に残ってしまうのだと考えていました。ちょっと分かりづらい説明だと思いますが、簡単にいうと“取り壊された建物の一部”と思っていた訳です。しかし、今回その勘違いに気づくことができました。現地の案内板には「北側の敷地境界には、煉瓦をオランダ積みにした防火壁も造られた」と。そう、煉瓦の壁は防火壁だったんですね。古い建物が密集しているところで見かけるのも納得です。こんなことは常識なのかもしれませんが、私にとっては新たな“発見”でした(笑)。 |