熊本県の北部に位置する山鹿市の有志たちが、地元の振興を目的に鹿本鉄道(昭和27年に山鹿温泉鉄道と改称)を開業させたのは大正6年のこと。しかしバス路線との競合などで経営は厳しく、さらに追い討ちをかけるように昭和28年と32年の大水害で大きな被害を受けます。結果、復興することができずに昭和35年に営業を休止し、昭和40年に正式に廃止されました。
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その鹿本鉄道で使われていた菊池川橋梁のトラスの一部が、「水辺プラザかもと」に隣接する公園に移設保存されています。丸々保存されているように見えますが、本来32mあったものを中央部を間引くような形で24mに短縮されています。実際に菊池川に架かっていたときは、その32mのトラスが4連も連なるものでした。
実はこのトラス橋、鹿本鉄道の遺構としてだけでなく「九州初の鉄道用トラス橋」というもうひとつの顔があります。明治23年に九州鉄道の千歳川(現在の福岡県久留米市の筑後川)橋梁がドイツ人技師ルムッシェッテルの指導のもと竣工。橋自体もドイツのUNION(ウニオン)社のピン結合プラットトラス橋が採用されます。千歳川橋梁として架けられたときにはトラス橋が9連も連なっていたそうですが、それも機関車の大型化に伴い大正3年に架け替えられることになり撤去されます。そこで撤去されたうちの4連のトラス橋が、当時全線開通を目指していた鹿本鉄道の菊池川橋梁へ転用されることになりました。かくして大正9年に菊池川橋梁として竣工し、それから約50年間菊池川を跨ぐことになります。
鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)が廃止になったあと、昭和58年に軌道跡が自転車道に再利用されることになります。それに伴い菊池川橋梁も架け替えられることになり、撤去されたトラスの一部が熊本県植木町にある宮原駅跡地に移設保管されました。トラスの短縮(32mから24m)はこの時に行われたそうです。その後平成14年になって現在地へ移設されました。
今や公園の一部となり静かに余生を送っている菊池川橋梁。117歳になるこの橋は、九州における鉄道黎明期を知る貴重な遺産です。 |