鹿本鉄道(昭和27年に山鹿温泉鉄道と改称)は大正6年に、熊本県の山鹿地方の発展を目的に地元の有志らによって開業。大正12年に国鉄鹿児島本線植木駅から山鹿駅までの20.3kmを開通させますが、自動車やバスなどとの競合により経営には苦戦を強いられたといいます。廃線となるのは昭和40年で、直接の原因となったのが昭和28年と32年の大水害。鉄橋が傾いたり路盤崩落など甚大な被害を受けますが、予算的に体力がなかったのでしょうか復旧を断念してしまいます。これにより、国鉄植木駅との接続が絶たれてしまったことが致命傷となったようです。
廃止になって40数年経っていますが、鹿本鉄道は多くの遺構が残っています。なにより面白いのは、その路線のほとんどの部分が自転車道に転用されていることです。「熊本山鹿自転車道」として「ゆうかファミリーロード」の愛称で地元の人々には親しまれています。自転車道ですので、地図上にはっきりと路線が見て取れます。また実際自転車で走れば当時の車窓に近い風景を楽しむことができ、沿線には鉄道に関するいくつかの痕跡を見つけることができます。また菊池川に架けられていた4連トラス橋の一部が、山鹿市鹿本町に移設保存されています。(関連記事:菊池川橋梁(鹿本鉄道))
鹿本鉄道の駅舎で唯一現存するのが、終点である山鹿駅です。自動車学校の事務所として使われていたものの数年前に廃校になってしまい、現在は不動産会社の管理になっており立ち入ることができません。駅舎敷地の道路に面した部分には大きな記念碑が建てられています。敷地と建物が売りに出ているかどうかは判りませんが、この駅舎の今後がどうなるのか心配です。
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