熊本県天草市牛深町の烏帽子瀬という小さな岩礁に、明治期のわずかな間だけ操業した炭鉱「烏帽子坑」があります。陸地からおよそ200mもの沖合いの岩礁に、海面から立ち上がりぽっかりと口を開けている坑口はかなり異様で他に類を見ません。背後には天然の岩礁を取り込んだ石垣で防波堤がつくられており、このような特異な場所に設けられた坑口を荒波から守っています。海面から立ち上がっている坑口は、下部が石組みで上部が煉瓦巻。周辺の岩礁や海面下には四角に切り出された石が並べられているのも見えます。おそらく坑口を囲むように桟橋か埋立地のようなものが作られていたと考えられますが、今となってはどのようになったいたかは不明です。どうせ海底の地下を掘り進むのであれば、海岸から掘削をすればよかったのでは?と、思ってしまうのは私だけ?
この烏帽子坑は天草炭業株式会社により明治30年に開坑。明治32年には47人(うち女性8人)が坑員として海軍艦船の向けの無煙炭を採掘しており、地元では海軍炭鉱とも呼んでいたそうです。良質な石炭が採掘できましたが、天草の炭層は他の地域に比べ薄いもので、地層の傾斜も大きく採掘は大変なものだったようです。そのような条件の下で、採掘から搬出、排水までも全て人力だけで行っていました。このため生産性が悪かったのでしょうか、わずか4、5年で操業を止め会社は解散してしまいました。海の中の岩礁に坑口を作り、全てを人力で行ったとは驚きですね。
坑口の上部を覆う赤煉瓦は波に洗われており色鮮やか。しかし剥離も進んでいるようで、一部穴も開いています。烏帽子坑をWeb上で検索すると多くのサイトで紹介されておりこの特徴ある坑口の写真も見ることができますが、同時に坑口アーチの要石(かなめいし)が今にも落ちそうな危険な状態であることも記されています。要石が落ちれば坑口アーチが崩壊する可能性もあるのでとても心配していましたが、私が訪ねた2007年2月11日まではちゃんと形を保っていました。ほっとしたのもつかの間、よくよく坑口を見てみると…あらら?要石が見当たらないではありませんか!どうも落ちてしまったようです。毎年の台風では相当な波を受けることは想像に難しくありません。要石が落ちてしまった今、いつまで坑口の形を保つことができるかが心配です。平成4年に牛深市(現・天草市)の文化財に指定されていますが、修復保存の計画などはないのでしょうか。早急な措置が望まれます。
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