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内大臣森林鉄道・幹線 No.01
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調査実施:2005年2月 報告書作成:2005年5月27日
       

  熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)から砥用町を通り、甲佐町まで鉄道が走っていたことをどれくらいの人が知っているだろうか。私はオフロードバイクでの林道ツーリングも10数年来の趣味であるので、九州中の林道は結構走って回った。そのなかでも特にお気に入りの林道が、九州最長の規模を誇る「内大臣林道」である。熊本県山都町から県境の椎矢峠を越え、宮崎県椎葉村に抜けるおよそ42kmの未舗装の林道だ。いつだったか、内大臣林道には昔トロッコが通っていたという話を聞いたことがあったが、そのときは全く興味もそそられず忘れていた。が、今年になってヨッキれん氏が運営する「山さ行がねが」というサイトに出会ってしまい、運良く?悪く?(笑)完全に森林鉄道跡の探索の魅力に取り付かれてしまったのである。そこでトロッコの話を思い出し、軽い気持ちで「内大臣のトロッコ」について調査を開始した。

 まずは情報収集だ。「山さ行がねが」でも名前が何度か出てくる「全国森林鉄道・キャンブックス」と「鉄道廃線跡を歩く・キャンブックス」を入手した。Web上でもいくつかの情報を見つけることができた。ふむふむ、なるほど。思っていたより随分と規模が大きく遺構探索も面白そうだ。しかし、どの資料、記事、Webページにも「線路跡」しか写真や記述がない。線路自体というか、レールは残っていないのか!しかし現地調査では驚くことに!!!!

概要

 森林鉄道とは、山で伐採された木材を貯木場などに運び出すために作られた軌道敷だ。明治時代以降、木材の需要の高まりもあり、全国の主な河川ではその流れに沿って山深くまでレールが敷かれ木材を運び出した。第二次大戦後の復興で更に木材需要が高まり森林鉄道も規模を広げるが、昭和30年代のモータリゼーションによりトラック運搬に切り替えが進み姿を消すことになる。レールを失った軌道跡は拡張され林道などに転用されることもあるが、急峻な地形に作られたものはそのまま放置されることもあった。

 内大臣森林鉄道は九州山地の深部である山都町内大臣から切り出した木材を運ぶ為に、大正4年に造られ昭和37年(一部昭和42年)まで使われた専用鉄道である。当初貯木場があった砥用町を起点に緑川に沿って山都町内大臣の奥地へ延びていた軌道敷だが、のちに南熊本駅(現JR豊肥本線)から私鉄の熊延鉄道(昭和39年廃線)が開通したために、甲佐駅の隣へ貯木場を移し軌道も延長された。右の写真の車両は実際に内大臣で活躍した車両だ。状態はあまり良くないが現在球磨郡で木製台車二両と共に保存されている。車両については別の機会に詳しく報告したい。
 

 
 甲佐貯木場から始まる幹線は内大臣事業所までの約21kmをほぼ緑川沿いに上流へと走る。岸壁が切り立つ内大臣峡から、緑川の支流である内大臣川に沿って山へ分け入る。途中で分岐があり、全長14kmある鴨猪谷支線が東に延びている。幹線は内大臣川を更に上流へと向かい内大臣事業所に到達する。この内大臣事業所の周辺には、幹線から東に延びる全長0.4kmの小松谷支線と西に延びる全長1.2kmの西内谷支線がある。(西内谷支線の名前と全長は、幾つかの説があり、資料によりまちまちであるため正確ではない。ただし、支線がある谷の名前が実際「西内谷」であるので、ここでは「西内谷支線」とした)

報告書の展開

 内大臣森林鉄道の本線・支線の総延長は約53kmもある。十分に調査するにはまだまだ時間が必要だが、全部調査が終わってから報告書を書いていては公開がいつになるか分からない。そこで、本線・各支線別に調査が終了したポイントを部分的にでも報告していこうと思う。そしていつしか十分に調査が終われば、最終的にひとつの報告書としてまとめたい。とりあえず本報告書は「内大臣森林鉄道・幹線」とする。