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No.12 三井三池炭鉱三川坑

左:正門 右上:敷地内部

概要
 福岡県大牟田市には三井三池炭鉱関連の多くの産業遺産が残されています。私はそれらを巡るために何度か大牟田市を訪れているのですが、三川坑跡だけなかなか見つけられずにいました。三川坑は平成9年の三井三池鉱閉山まで操業していたので、あっさり跡形もなくなることはないでしょうし、Web上で検索すると、斜坑と一部の施設は残されている様子。そう思い大牟田市に行く度探していたところ、最近になりやっと三川坑を見つけることに。しかし、それは正門だけを残し、跡形もなく更地になっているというものでした。

 三川坑の正門はちょうど旧三井港倶楽部の裏側に位置していまいした。Web上でこの正門の写真を見ていたので気付くことができました。隙間無く閉ざされた扉の上には監視カメラもあります。ますます扉の向こう側が気になります。門のすぐ脇に回り、柵の隙間から敷地内を窺うと…。遠くまで続く一面の更地になっていました。何も残っていないようですが、門の脇に守衛室のような木造の古い建物が残っており、その同じ敷地内には三井鉱山とは違う名前の看板が掲げられた会社事務所があります。カメラをさげてウロウロしていた怪しい私に(笑)気付いたのでしょう、その事務所の人から「なにか御用ですか?」と声をかけられました。とりあえず三川坑とその会社の関係を聞いてみます。さすがに全く関係の無い会社だと思ったのですが意外な返事が。今は切り離されているが元々三井鉱山出資の会社で、三川坑の解体工事を行ったという話を聞くことができました。二つあった坑口の閉塞から建物の解体などを行ったそうです。その人の話によれば、今は全てが更地になっており、2〜3年内には国道208号有明湾岸道路が横切ることになるそうです。どうやら三川坑の面影を残す場所はこの正門のみになってしまったようです。

三川坑の航空写真 写真は昭和49年の三川坑の航空写真。黄色の矢印部分が三川坑正門で、その奥には多くの工場建物が立ち並びます。

  昭和15年に有明海の海底採炭を目的として開抗した三川坑。竪坑はなく、2本の斜坑が有明海の地下深くを目指し掘られ、最深部の坑道は海面下520メートルになったそうです。数ある三井三池炭鉱の中では比較的新しい坑口ですが、激しい衝突があった三池争議や昭和天皇御巡幸、また458名が亡くなる戦後最大の炭塵爆発事故などの歴史的な出来事の舞台になった坑口でもあります。

 大部分は更地になっていますが、第二斜坑だけは閉塞されながらも坑口は保存されているそうです。

関連サイト : 「大牟田の近代化遺産」

 
所在地
福岡県大牟田市西港町
問い合わせ
大牟田市 教育委員会
〒836-8666 福岡県大牟田市有明町2丁目3
電話:0944-41-2860
FAX:0944-41-2862
  
アクセス

  • 国道389号を三池港方面へ曲がったら100mほどで右手に見えてきます。
  • 位置的には旧三井港倶楽部の裏(西)側。
地図はコントロールボタン以外にもダブルクリックで拡大移動、ドラッグで移動できます。
  

関連リンクこちらのサイトで紹介されています

 
大牟田市に数多く残されている三池炭鉱を中心とした近代化遺産を紹介されています。炭鉱遺産に関する写真ギャラリーは必見です。
大牟田市 石炭産業科学館のサイトです。メニュー「近代化遺産」では三池炭鉱や三池港に関係する遺産を紹介。古い写真なども多く掲載されています。

全国に渡り金属鉱山や炭鉱を紹介されています。写真をふんだんに使い多くの物件を紹介。今回の物件は「福岡県」 > 三井三池炭鉱(大牟田市) > 坑口探訪マップ > 三川坑 で紹介。

 

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