熊本県菊池市(旧泗水町)に終戦時まであった花房飛行場跡は、昭和10年から軍用飛行場として建設が始められ昭和15年の完成後には陸軍飛行学校も開設されました。その後は多くの飛行部隊が駐屯すことになりますが、終戦も近い昭和20年5月14日に米軍機の爆撃にあい、隣接する陸軍航空通信学校とあわせ36名の犠牲者が出ました。現在では飛行場としての面影をみることができませんが、住宅地や畑などになっている敷地跡の中に点々と遺構が残っています。
飛行機の格納庫の基礎は複数残されていますが、1か所規模が大きいものがあります。コンクリート製の基礎だけが残っているのですが、上の写真でも車と比較してかなり大きなもだということが分かると思います。数十メートル離れた場所にも対になるように同じ基礎が残されています。
残っている基礎と当時の写真などを元に、ほぼ想像ですが格納庫の復元図を描いてみました(右写真)。矢印で指しているのが基礎部分です。右端に写っているアパートと比べて、かなり大きなものだったと思われます。
すぐ近くには弾薬庫の建物があります。終戦後に入植者の住宅として使われたとのことで、建物の一部には住居として使われた痕跡が残っていますが、現在は使われていないようです。しかし弾薬庫という性格上小さな窓しかないので、住宅には使いづらかったのではないでしょうか。
花房飛行場跡の最大の遺構に、高架水槽があります。この水槽には弾痕がはっきり残っていて、当時の銃撃の激しさが分かります。他にも油倉庫や格納庫基礎、部隊営門の門柱などが点々と住宅地の中に残っており、周辺を散策すると次々に見つけることができます。普段の生活で戦争を意識することはありませんが、こうして形として残っている遺構は、戦争の悲惨さを伝え考えさせるには十分な力を持っていると感じました。 |