マップ 報告書 掲示板 リンク 雑記帳
このサイトについて お問い合わせ
 
Map一覧 > 前へ戻る / 次へ進む

No.30 大築島

上中:過去に使われていたトンネル 右:護岸に残るクレーン

概要
 産業の発展と共に大きく姿を変えていき、またその終焉と共に無人となった島といえば“軍艦島”がすぐに頭に浮かぶことと思います。規模こそ違いますが、熊本県の八代海に浮かぶ小さな島“大築島”もそのような歴史を持つ島です。

昭和49年の大築島  大築島は八代海の中央付近に位置し、標高約100mの山を持つ(持っていた)周囲3.8kmの小島です。島全体が良質の石灰岩でできており、明治22年に八代市で操業を始めた日本セメント株式会社八代工場の原料鉱山となります。このときに採掘する従業員と家族が移り、島での人々の生活が始まります。最盛期の昭和30年頃には50世帯約250人が生活しており、小中学校の分校までもありました。
  昭和49年の大築島の航空写真。運搬船や採掘の様子がわかります(国土交通省国土画像情報サイトの元画像はコチラ)。

  大築島の採掘方法は、坑道を掘り鉱脈や炭層を採掘するのとは違い、島自体がほぼ全て石灰石で出来ているため露天掘りで大地を切り崩していきます。はじめは山の上から切り崩して行くのですが、採掘が進行すると山はなくなり麓の住宅地などにも採掘面が迫ってくることに。そのため昭和36年に従業員とその家族全員が島から八代市へと移住し、大築島は無人へと戻ります。

  その後も石灰石の採掘だけは続き、島は削られ続けその地形を大きく変えていきます。昭和55年7月に、日本セメント八代工場の閉鎖に伴い大築島鉱山も一旦閉鎖しますが、翌月から株式会社飯田工業所大築島鉱山として平成7年まで採掘が続きました。閉山された現在はもちろん無人で、島は一部を除き採掘によって広大な石灰石の平原になっています。

 島の南側には石灰石の積み出しや物資の積み下ろしなどに使われた岸壁や施設の痕跡が残っています。一見なにもないように見えますが、他にも過去に使われた採掘方法によるトンネルなどや火薬庫、住宅や建物の基礎も島のあちこちに点在して残っています。石灰鉱山として108年、採掘により大きく姿を変えてしまった大築島は、まさに島全体が一つの大きな産業遺産となっていると言えるでしょう。

 
所在地
熊本県八代市大築島
  
アクセス

地図はコントロールボタン以外にもダブルクリックで拡大移動、ドラッグで移動できます。