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坂本隧道・旧西日本製紙株式会社工場跡 No.01
調査報告書一覧 > 報告書 No.01 / No.02 / No.03完

調査実施:2005年3月 報告書作成:2005年5月20日
       

坂本村の球磨川沿いに走っている肥薩線には、明治時代に作られたトンネルや鉄橋などが数多く残っている。急峻な谷間を縫って走る肥薩線では、石造りや煉瓦作りの美しいポータルを持つトンネルが今もなお現役で使われている。最近になってちょこっと「鉄道」に興味を持つようになった私は、そんな情報を仕入れたのでさっそく坂本村に調査に向かった。そのときに偶然にも、このような不思議な場所へ来てしまったのである。
 
 
 そこは山深い坂本村の中においては、異質ともいえる非常に広い平地なのだ。平地というか、一見して何かの跡地のようで、その中央を川が流れている。川沿いには一本の道路が走っており、その道路の先には集落があり住宅や店舗が密集している。
川沿いを注意深く見てみると古い石垣やコンクリートの遺構が目立ち、木製の電柱や錆びた手すりなども多く残っている。また、山際の方に目を向けると、これまた古い石垣やコンクリートの法面などが残っている。
 
  

 
 これは明らかに何か大規模な施設の跡地だ。すぐ近くを九州自動車道が通っているので、建設時の関連施設かなにかがあったのかと考えた。そのとき、現場近くで犬の散歩をしていた老人を見つけた。地元の老人はなんでも知っているものである。私は爽やかに挨拶し、この更地はなんの跡地なのかを訪ねた。老人は親切に(とても積極的に)答えてくれて、私の疑問を解いてくれた。その老人の話と後日調べて分かった事実は、私にとって驚くべき内容だった。ここは明治から続いた工場跡地。まさに産業遺構であった。ちょっと話はそれるが、ちょうどこのサイトを作ることを漠然と考えていた時期に、今回のこの物件に出会ったのである。偶然とはいえこのタイミングには驚いた。

 老人の話しによると「ここは明治からあった製紙工場の跡地で、今は八代市に引越ししたよ」という。確かに八代市には日本製紙株式会社八代工場という大きな工場があるが、この地と関係しているのであろうか?老人がいうとおりに、八代市の製紙工場は昔ここにあったのか?そんな程度の疑問であったが、調査を始めてみたらかなり奥が深かった…。