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内大臣森林鉄道・鴨猪谷支線 No.05
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調査実施:2005年7月 報告書作成:2005年9月5日
       

現地調査(第4回・本調査)

 前回の調査で、運良く最深部への入口を発見した。そのときのGPSデータをカシミールで国土地理院1/25000地形図上にプロットしてみたが、最深部へと向かう軌道跡に間違いないようである。今回の調査は、その入口から鴨猪谷支線の終点を目指すルートをとる。1/25000地形図に実線で記されている軌道跡は、入口から終点までおよそ2kmほど。地形的にも尾根に近いため、谷もそれほど深くなく、第3回調査みたいに怖い思いもしなくていいようだ。
 


ポインタを重ねると重描きの線(軌道跡)を非表示にでき、本来の状態を表示します
 
最深部へ向けてスタート

 前回の調査で見つけた、林道脇の伐採現場に露出している地点に到着したのは、正午を過ぎた12時40分。バイクを林道の脇に停めて靴紐を締めなおし、終点目指して、さあスタートだ。

 入口周辺の軌道跡の状況がとても良く、もしかしたら最後までこの状態が続くのかなと淡い期待をもったが、あっけなくそんな期待は打ち砕かれた。藪!藪!とにかく笹薮が酷い。それでもレールは残っているので写真を撮っては見るものの笹でよく分からない有様だ。藪がない場所では、代わりに行く手を遮るように、何箇所にも渡り路盤が崩れている。斜面の角度が緩いために、第2回、3回調査ほどの恐怖はないが、その度に上や下に迂回を強いられ、なかなか前に進めない。路盤が崩落している箇所は、どこもレールだけは元の位置に残っており、まさに空中を軌道が通っている。
 


地図をクリックすると別窓で表示できます

  
  

 中には枕木も一緒にレールにくっ付いて空中を渡っており、なんだか「銀河鉄道999」というアニメを思い出してしまった。ここで一つ発見。いままで軌道跡で“ゴミ”を見ることはなかったが、今回は一升瓶を何度が見かけた。一本きれいな状態で落ちていたり、また割れている状態のものもあったが、山で働いていた男達が飲んだものなのだろうか。
 

   
  
 

歩き始めて20分が経過した。緩やかな地形になり崩落もなく、楽に軌道の上を歩けるようになったときだった。地点付近で、行く手にかなり半径が小さいカーブが見えてきた。このカーブを横転転覆しなように通過するには何キロが制限なんだろう。木材を山積みのトロッコなら人が歩く速度ぐらいでないと危険なのではないだろうか。そんなことを考えていると、そのコーナーのすぐ先に橋を見つけた。小さな沢を跨ぐ橋は長さ4mほどだろうか。石組みの橋台に、30cm角くらいのかなり太い角材2本を渡しただけの単純な構造だ。角材の1本は腐って真っ二つに折れて沢に落ちていた。残りの1本の上を渡る勇気はないので、一旦沢に下って迂回することにする。
 

    
 
鴨猪谷支線初の遺構登場!

 沢から軌道へ這い上がり地点へさしかかると、木々の合間から建物が姿を現した。こんなところに平屋の廃墟があることに驚きつつ周辺を調べる。プレハブ造りのせいか、そんなに古くも感じないが、この支線が使われていたのは昭和42年までなので、少なくとも38年以上前の建物になる。建物は大小あわせて6つほどあり、軌道はその合間を縫って大きく折り返している。建物周辺の位置関係はおおよそイラストのようになる。

 この廃墟は飯場だったらしく、トイレ、風呂、食堂などが揃っており、他に事務所(倉庫?)のような建物もある。一番大きな母屋には広間が幾つかあり、ここで寝泊りや休憩をしたのだろう。驚いたことにテレビを見つけた。とても電気が来ているとは考えられないが、少し離れた別の建物の中にエンジン式の発電機があり、自家発電していたようだ。建物の周りには色々なものが散らばっていたが、落ち葉に埋もれている一升瓶の山を見つけた。山の男はよほどの酒好きなんだろうか?廃墟にありがちであろうジュースやコーヒーの空き缶は皆無だ。あるのは大量の一升瓶のみだ(笑)。
 このように荒れ果てている廃墟でも、その現場に立ち当時の生活を想像してみると、確かに人々が生活をした匂いを感じることができる。(少し不気味だけど…)
  

  
 
  
 

更に鴨猪谷支線初の遺構登場!

 飯場を後にして歩くこと15分ほど。軌道跡を歩いているのだが、すぐ右手にも一段上がったところに軌道が見えてきた。この先まもなくでタイトなコーナーで折り返しになることが予想できる。歩き進むにつれレールは右カーブになっていき、確実に折り返しが近づいていることは間違いないが、なにかおかしい。自分が歩いている軌道と右手にあるもう一つの軌道の2つの軌道の間隔がとても近くなっているのだ。数メートルもなく、同じように右カーブになっている。カーブも非常に小さいものになり、半径は10mもないだろう。このままではループになってしまうのでは?と思った頃、なんと2つの軌道は切替ポイント(ポイントA)によって合流してしまった。あれ?あれ?レールはどうなってんだ?と状況が分からなくなってきたが、落ち着いて落ち葉に埋もれた地点周辺のレールを辿ってみる。第一の切替ポイントより10数メートル進むと、もう一つ切替ポイント(ポイントB)が現れた。なんとこの切替ポイントではこのようなレバーも残っていた。ポイント自体、内大臣森林鉄道(鴨猪谷支線)で初めての発見である。さらにこのような装置(?)の発見には驚いた。もちろん切替の操作ができるかどうか動かしてみたが、基部の枕木が腐っているために、付け根部分がグラグラ動くだけだった。

 この2つの切替ポイントがある地点周辺の軌道は、このようなループ状の配置になっている。このループとポイントを使って前進と後進を行えば、ガソリンカーなどの機関車の方向転換が可能なことがわかる。終点が近いので、そのような使われ方をしたのではないだろうか。
  

   
 
   
   
 ループを後にして10分くらいだろうか。軌道跡は沢に近い位置を通っている。1/25000地形図で見ると軌道跡と思われる実線は、沢に当たって終わっている。もしかしたら終点か?結構疲れていたので、ちょっとだけ「終わり」を期待したのが本音だ。GPSには地図上で終点と思われる地点にポイントを登録してるが、少し距離がある。しかしこんな谷間ではGPSなんて当てにはならない。先を見ると軌道の先が沢になっている。いよいよ、ここで終点か?レールは土砂や倒木で見えないが地形で軌道跡は沢に繋がっている。感動!ここが終点だー!と思い、沢に下りてよく見たら(よく見なくても)レールは先に延びていた…。実は地図上では、まだ地点にいたのだった。ちょっとガッカリ…いや、まだまだ続いているからよかった!(?)
  
  
  

 沢を越えると山側に長い石組みが現れた。苔生しているものの、丁寧に組まれた石組みは良い状態を保っている。足元も落ち葉や枯れ枝で分かりにくいが、2本のレールはしっかりと平行に並んでいる。しかし、そのような状況も100mも続かなかった。またもや大きく崩落している現場に出くわす。山側からの崩落でレールも谷側に押されてグニャグニャと曲がっている。谷はさほど深くなく5mほど下に沢が流れている。先ほどの沢より太いのでコチラが穴谷(鴨猪川)の本流だろう。 崩落現場を越えると、軌道脇にレールが何本もまとめて置いてあるのを見つけた。曲がったものも含まれていたので交換したりしたものだろうか。これだけあると1本貰って帰ってもいいかな、とも思ってしまうが、手ぶらでも戻るのが大変な場所だけに、それは無理な話(笑)。
 

  
  

遂に到達したのか!?

 バイクを停めて、歩き始めて約1時間半。遠く谷底にあった沢も、いまは2mほど下を流れている。軌道跡のレールは、山側から路盤ごと土砂に押されたのか写真のように(45度ほど)斜めに傾き、浮いた状態になっている。とても軌道跡を歩ける状態でないので、一旦沢に降りて、軌道跡を追いながら沢を上る。20〜30mほど沢を上っただろうか、地形は緩やかでU字状の断面になっていて、沢の流れもほとんど無くなっていた。レールは斜めになりながらも沢に沿って延びていたが、倒木や土砂が押し曲げた箇所でその姿が途切れていた。
 

   
 
   
  
 どうやら、この地点が終点のようだ。GPSに記録していた地点のポイントや、1/25000地形図の地形と見合わせてもピッタリ一致した。しかし土砂に軌道が埋もれているだけで、この先に延びている可能性もあるので、100mほど沢を登ってみた。周囲を注意深く確認するも、地形からして軌道があるようにも見えない。軌道の終点に間違いないようだ。
 ついに内大臣森林鉄道鴨猪谷支線の終点に立つことができたが、もう一つ確認しておきたいことがあった。それは「レールの終端」だ。特に意味もないだろうが、折角だからレールの最後を見てみたいと思い、レールが途絶えている地点の土砂や倒木を取り除いてみる。すぐにレールの先端が現れた。レール同士を接続する2枚のプレートも付いていないので、ここが終端と考えていいようだ。支線の終点に立ち、少なからず感動もあったが、今来たルートを戻ることを考えるとちょっぴり辛い。ともあれ、この鴨猪谷支線の最深部の踏査では、多くの発見を得ることができた。現地調査や資料による調査を終えて、いろいろ見えてきたこともある。次回報告書では、この鴨猪谷支線をもう一度振り返ってみたい。
   

 
つづく