推測してみる
鴨猪谷支線での今までの調査結果を踏まえ、この“謎のエリア”の実態を推測してみたい。まず重要なポイントとして、幹線が林道化した後も鴨猪谷支線の軌道が使われ続けたことが挙げられる。
幹線が廃止されたのは昭和37年。林道の角上橋が完成したのも昭和37年の9月のことだ。そう、昭和37年の9月にはトラックが角上橋を通れるようになっているのだ。しかし、鴨猪谷支線は昭和42年まで運行されている。正式に「用途廃止」となるのは昭和45年だ。少なくとも4、5年ほどの間は、幹線が林道(トラック輸送)で支線が軌道(トロッコ輸送)の形態が取られていることになる。
ということは、この軌道と林道が出会う角上橋付近で、鴨猪谷よりトロッコで運ばれてきた木材をトラックに積み替えなければならない。木材を積み替えるためには、それなりの広さを持った場所が必要になるだろう。トロッコも何両もあるため、長めの引き込み線も必要と考えられる。また小さくとも貯木場のような場所も必要であったに違いない。それらのことを考えて、角上周辺の地形を見てみると非常に納得できるのだ。
実際現場に立ってみると、杉の木が随分成長しているもののトンネルから角上橋、その先の左カーブまで広い平場が続いているのがわかる。カーブ手前にの路上には枕木も残っている。現在でも古い倉庫などがあるが、それ以外にも石垣などが杉林の中に多数残されており他にも建物があったことが予想できる。このことから、謎1.の「角上橋付近の内大臣側東岸の軌道跡」はトラックへ木材を積み替えるための引き込みだったと推測できる。
残る謎はトンネルだ。上記の「トロッコから木材をトラックに積み替える」という説だけでは、このトンネルが何故こんなに立派なのか?までは説明できない。しかしこの件は、鴨猪谷支線跡の前半部分の現状を考えると、推測するに難しくない。
下の地図は鴨猪谷支線の軌道跡だが、赤の実線で示した部分が現在林道化または拡幅されており、赤の破線はオリジナルの軌道敷を保つ部分だ。この赤線を見ていると、角上から鴨猪谷まで支線跡全てを林道化しようとしていたのではないかという推測ができる。事実、角上橋から謎のトンネルまでは十分な幅員を持った平場が続く。また、軌道を使わないと、内大臣林道から鴨猪谷へのアクセスが非常に悪い(かなりの遠回りになる)ことも、鴨猪谷支線の林道化の理由になる。つまり、角上橋からの鴨猪谷支線を全て林道化しようとトンネルを車道規格で造ったが、なんらかの理由によって中止になり、林道化の工事もトンネルより先は行われなかった、と推測できないだろうか。
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