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旧深水発電所(旧西日本製紙株式会社) No.03
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調査実施:2005年3月 報告書作成:2005年4月25日
       

 調査は対象としたサージタンク・トンネル・池の調査を優先し、B地点から水路沿いにヘッドタンクを目指す片道約2.4kmのルートにした。当初は取水口のA地点より水路全体を対象に考えていたが、事前調査によりA地点取水口からの水路へのアプローチができないことがわかり今回はショートカットとした。また地図上ではA地点〜B地点間に特になにもないことなどや、B地点付近の状況の悪さも理由である。いずれA地点〜B地点間は調査したい。

本調査

 午前11時40分にB地点到着。乗ってきたバイクを道路と水路が交わるスペースに停めた。靴紐を締めなおしてサージタンクへ向けて水路跡を歩き始める。しばらくは倒木こそ多少あるものの藪もなく非常に平坦で歩きやすい。地図では約300mほどで一つ目のトンネルに到達する。足元は登山道のような踏み跡が続いてはいるが非常に不明瞭な部分もあり、相変わらず水路の遺構などは見あたらない。手元のGPSではひとつ目のトンネルの地点に到達した。しかし水路もトンネルも見あたらない。「ひょっとして全て埋め戻されたのか?」とも考えたが、こんな山中ではそんなことする意味もないだろう。冷静になって自分が立っている弱々しい踏み後の続く先を見てみる。今までほとんど水平を保っていた道が突然20mほどある稜線へ向かって登っていた。GPSと手元の地形図、実際の周りの地形を見比べると水路は目の前の斜面を突っ切っているのは明らかだ。少しだけ予測はしていたが「トンネル」は水路であって人が通れる代物ではないようだ。方角が一致しているので踏み跡にしたがって稜線へ登った。

「平坦じゃなかったなあ」なんて思いながら稜線を越えて下っていると左手に平らな場所が見えてきた。そう水路跡だ!その水路跡が山の斜面へ繋がる部分に…あった!トンネルだ!しかしその規模はトンネルと呼ぶにはかなり小さく、まさしく「水路の穴」だ。
 写真でデイバックが写っているが比較して小さな穴がお分かりいただけるだろう。内部もほとんど埋れている。しかし地形図通りに水路跡がトンネルを使っていることが分かったので少し安心した。

 ここからあと100mほどで次の目的"調整池"である。池には従業員が詰めていたというから、何かしらの遺構が期待できる。そんなことを考えながら歩いていると…

 ん?道がハッキリしてきたぞ。おや?おお!ここに来て初めて水路の正体が現れた!

 なんとコンクリート製の水道管ではないか。直径はおよそ60cmくらいであろうか。見事に苔むして緑のパイプとなり、森の中へ延びていた。私はずっと上部が開放された水路をイメージしていたが、実際はコンクリート製の水管だったのだ。水管だとB地点周辺の景色も取水口周辺に水路がなかったのも納得できる。

 地上にハッキリと姿を現したコンクリートの水管の脇に沿って歩き進めると、藪の間から窪地が見えてきた。池だ。思ったとおりに何らかの構造物もある。調整池は底に浅く水が残る程度で、ほぼ枯れている状態だ。地形を見ると、谷に堰を作って幅約20m奥行約4、50mの池を形成しているが、一見するとただの窪地の水溜りにも見える。今まで辿ってきた水管がダイレクトに池に注ぐようになっているが、小さな穴を開けてそのほとんどをコンクリートで塞がれていた。
 

  

 この調整池で一番目立つ遺構はコンクリート製の水門だ。この調整池からヘッドタンクへ続く水路に水を供給する役目と、調整池自体の水位の調整を行う構造のように見える。この水門に看板が残っていたが、ここにまで来て初めて見つけた「西日本製紙株式会社」の痕跡だ。堰付近には石垣も残っており、ここに建物があったことは推測できる。
 
  


 また水門脇には落ち葉などに分厚く埋もれているものの建物が倒壊した痕跡が確認でき、柱や蛍光灯、トタンやガラスが散乱する中に、おそらく水門を制御するためのメーターやスイッチなどを見ることができた。錆びたブリキ缶に収められた急須と湯呑が、こんな山中でも人が働いていたことを物語ってくれているような気がする。堰の谷側にはこの様な石組みの放水口が作られているが水は全く流れておらず、代わりに2mほど脇にあるコンクリート製の放水口からチョロチョロと水が流れていた。
 

  
 
  
 
 調整池をあとにする。地図では500m先のトンネルまで何も無いはずだが、またしても道(踏み跡)は思いっきり稜線目指して登っている。地図には無いが水管がトンネルをくぐっているようだ。今回も入口は確認できなかったが、稜線を越えた先で出口を確認することができた。トンネルから出た水管は小さな半径で強いカーブを描いているのが地図上の線と一致する。この地点からわずかに進んだところで突然"七号隧道入口"という看板が現れ、再び水管は地中へと消えて行った。「入口」と看板がある割には人が入れる代物でもない。しかも地図上ではたった2個しか無いはずのトンネルなのに "七号隧道"とある。確かにさっき確認したトンネルも地図には無かった。1/25000地形図でも載っていないことってあるんだねえ…。でもこんな穴ぐらにわざわざ看板を作る理由は何なのだろう。メンテナンスをするようなものでもないし、全く謎だ。

 またしても水管はトンネルへ入った訳だが、この辺から道がかなり不明瞭になってきた。元々登山道ほどもハッキリしてなかった道だが、ここにきて倒木とシダ類の密生が激しくなり踏み跡なども全くなくなった。1/25000地形図とGPSで自分の現在地と進むべき方向は把握できているが、完全に道が無い上に斜面もかなり急になって少々ビビってきた。たまに地籍帳票と書かれた杭とその目印のための銀色のテープがあり、よく見ると杭に「日本」とか「日本紙」と書かれている。この水路の現在の所有者である日本製紙株式会社のことだと思うが、意外とこの杭とテープを目印に進むことができた。シダの藪を掻き分け進むと「七号隧道」の出口に到達した。水管が地上に戻るとその上を歩くと事ができるので非常に楽だ。ここあたりから水管に空気抜き?のようなパイプが立つようになった。
 

  
 
 だんだんと倒木が増えてきて、潜ったり跨いだりをかなりの数繰り返し疲れてきた。そんな所で到達したのが「八号隧道入口」だ。またしても看板。GPSを見ると地図上で2つめのトンネルの位置になる。八号隧道は他の隧道と同じく水管上に30cmくらい隙間があり、奥行き1mほどで埋まっている。水管がトンネルに潜ると人間は稜線を登って越えなくてはならない。完全に道が無くなっているのでシダが生茂る斜面をジグザクに登っていく。稜線を越えて反対側の斜面に出るとわずかな踏み跡を見つけることができた。八号隧道の出口と思われるポイントはハッキリせず、水管も地上には見えない。ただ所々に水管の蓋や空気抜きのパイプが地上に顔をだしており、水管の存在を知ることができる。