マップ 報告書 掲示板 リンク 雑記帳
このサイトについて お問い合わせ
 
旧深水発電所(旧西日本製紙株式会社) No.01
調査報告書一覧 > 報告書 No.01 / No.02 / No.03 / No.04 / No.05完

調査実施:2005年3月 報告書作成:2005年4月15日
       

 熊本県球磨郡坂本村にあるこの物件は、国道219号線を車で走ると球磨川の対岸に見ることができる。森に囲まれた川岸ギリギリに建っている存在感のある建物なので、ご存知の方も多いだろう。また、Web上で検索しても結構紹介されている有名な物件だ。私も初めて見たときは一目でそのいかにも古そうな煉瓦造りの外観に魅了された。しかしこれはなんの建物だろう?この下の写真を撮影している時点では、全くなんの建物かを知らなかったのである。
 
 
 地図によるとこの場所には発電所の記号があるし、立地と外見からも発電所と予想はできる。近くに九州電力の発電所があるが、こちらも九州電力のものなのか…、写真を撮影したときにはそう思った。実はこの調査と同日に旧西日本製紙工場跡地(詳細はコチラ)に足を運んでいる。
 帰宅後写真のチェックを行っていて、西日本製紙工場跡地にある引込み線隧道の篇額上にある社紋と同じものがこの建物にもあるのに気が付いたときは非常に驚いた。この社紋は西日本製紙の前身である十條製紙株式会社から使われているものだ。上の全体像の写真を良く見ると窓と窓の間に一字ずつ書かれている消えかかった文字も、頭の2文字だけは「十條」とハッキリ読める。
 
 
 結論を言うと、この建物は旧西日本製紙株式会社のもので、2kmほど南にあった同社の製紙工場付属の水力発電所である。西日本製紙株式会社は昭和63年に解散しており、現在は工場跡地から発電施設など全て日本製紙株式会社の所有になっている。この坂本村においての製紙工場の歴史は長く、まだ肥薩線も無かった(八代-人吉間は明治41年開通)ころの明治28年に肥後製紙株式会社としてスタートしている。その後、この地の製紙工場は何度も合併・吸収などにより社名を変えるが昭和63年の西日本製紙で幕を落とす。この辺の詳細は報告書の「旧西日本製紙工場跡地」でレポートしているのでそちらをはじめに読んでいただきたい。

 この深水発電所が製紙工場に電力供給をはじめたのは大正10年のことである。最大出力は880kwになっているが、年間平均出力は560kwと非常に小さなものだ。心臓部の水車と発電機は、運転開始の大正10年から更新されることなく昭和63年まで使用された。これら発電所内部の機器設備は、現在も煉瓦造りの建物の中で静かに眠り続けている。
 水力発電所の建屋には結構古いものが多いが、電力会社のものは内部の発電機などは定期的に更新されており、建屋と発電機共に大正時代のもので現存する例は少ないように思う。素人判断ながら、この深水発電所は近代化遺産としての価値は高いのではないかと思う。

 同製紙工場(当時は九州製紙株式会社)は、水力発電に適した周囲の地形を利用し、この深水発電所以外にも3つの水力発電所を作っている。ひとつは鮎帰発電所で、なんと明治42年に運転を開始している。現存するか分からないが、この「鮎帰発電所」は調査してみたいと思っている。残る2つの発電所だが構内第一・第二発電所となっており、西日本製紙の解散に伴う工場解体で更地となっており現存していない。

 さて、深水発電所を川の対岸から眺めるだけではつまらない。近くへ行こうと、地図でその位置とルートを確認してみると発電所のすぐ後をJR肥薩線が通っている。その線路に沿って県道158号が通っており、国道からはすぐ近くに深水橋が渡っている。非常に簡単にアクセスできると、そのときには思ったがスゴイどんでん返し(表現古い?)が待ち構えていた。
 地図では国道219号線に対し球磨川を挟んでJR肥薩線と県道158号線が並んでいるように見えるが、まず、この県道がクセモノ。ご覧のように車両通行止めになっている。仕方ないので車を停めて歩いて進むと踏み切りに出る。道は川沿いを通るようだが線路はトンネルを通る。歩き進むと発電所の屋根が見えてきた。線路も先ほどのトンネルを出ているようだ。途中こんな標識もあった。なんなんだこの県道は…。
 

  
 
 建物の裏側が見えてきた。全ての窓には板をはめ込んであり、内部を窺い知ることはできないようだ。山肌の急斜面を下ってきた導水管はJRの線路をくぐり発電所へ繋がっている…って、あれ?発電所を通り過ぎたけど??どうやって行くの??
 
     

 
 なんと発電所への道がないのである。強引に線路を横切れば行けないこともないと思ったが、現役のJR肥薩線であり、また、渡った先も私有地である。どのみち窓を埋められ内部も見れないので、ここで退散することにした。しかし、この立派な発電所には通じている道がないのは不思議だ。色々疑問がわいてくる。建設時には道路があったのだろうか?それとも船で資材を運びあげたのだろうか?肥薩線の線路は明治41年からあるので、建設資材は鉄道をつかったのか?運用が行われていた昭和63年までは道があったのか?などなど。これらの疑問は折を見て調べていきたい。

 さて、発電所の建屋以外に面白いものを見つけた。この写真からは発電所と山肌を登っている導水管が作った一本の縦線が分かるが、よく見ると山の頂上に何か大きな構造物が見える。思いっきりズームアップで高解像度撮影したものを等倍のピクセルで見てみるとタンクのように見える。上部には梯子や手すり、避雷針のようなものまで確認できる。遠くからでもよく見えるので、かなりの大きさがあるのだろう。発電所は建屋だけではない。こうなったら付随する施設全部調べてみようではないか!って気になってきた。(大笑)

 山頂に見えるのは水力発電所に付き物のサージタンクである。簡単にその機能を説明すると水車に掛かる水圧を安定させり、水車の停止時や起動時に発生する水撃圧を緩和させる施設である。大きな容量を持っているタンクなので水位を変動せさて水圧の変化や衝撃を吸収する訳だ。相手が何者かは分かったので、調査開始だ!