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日窒鏡工場跡・小千代橋 No.02
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調査実施:2005年10月 報告書作成:2006年1月20日
       

机上調査

 早く現地へ行ってみたい。しかし日窒鏡工場と小千代橋が、具体的に鏡町のどこなのかは全く分からない。インターネット上で検索してみても、日窒の歴史について書かれているサイトに鏡工場の名前だけ出てくる程度で、小千代橋に関しては全くヒットはない。いろいろな検索方法を試してみたが、全く役に立つ情報は得られなかった…。正直この時点で不安にもなったが、考え方によっては面白い調査になりそうだ。誰もWeb上で公開していない歴史ということで、未開の地へ踏み込む気分だ。なんだか宝探しというか伝説の遺跡を求めてというか、そんな探検家や考古学者のワクワク気分が少しだけ味わうことができた気がした(笑)。

地図を眺める

 本報告書では“鏡町”と記しているが、2005年8月に八代市と周辺にあった坂本村・泉村・東陽村・千丁町と合併しており、正確には「八代市鏡町」となる。地理的には八代平野の北側に位置し、西側に八代海、東側には九州山地へ続く山がある。町の中心部付近を南北方向に県道14号線が通っており、町の東側にはそれと平行するようにJR鹿児島本線が通る。県道14号線は、古くから熊本市と八代市を結ぶ道路で現在でも交通量は多い。JR鹿児島本線には、町の中心部から少し離れたところに明治29年開業「有佐駅」がある。鏡駅でなく有佐駅なのは、昭和30年に有佐村と鏡町が合併したためで、昭和30年以前は鏡町には鉄道…いや、「国鉄」は通っていなかった。
 

   
 
地図上に痕跡が…

 小千代橋は一体どこなのか。鏡町の地理が分かったところで、もう一度道路地図を眺めてみる。しかし鏡町は水路や小さな河川が多いため、その分橋も多く検討もつかない。そこで橋を直接探すのでなく、工場の面影も同時に地図の上で追ってみることにする。もう一度「日窒鏡工場鳥瞰図」をよく見てみよう。この図の遠くに描かれているのは八代海ではないだろうか。そしてその先にあるのは天草の島々のように思える。そうなるとこの鳥瞰図は東から西を見て描かれていることになる。工場の手前の河川の幅が結構広いのは船のスケールからして分かる。地図でみると鏡町のほとんどの河川や水路は、南東から北西方向の有明海へ注いでいる。ということは、工場の北側に船を着けることができる幅の広い河川がある地形を探せばよいのだ。そう思って地図を眺めたとたんに、鏡町の中心部西側に実にあっけなくその痕跡を見つけることができた。
 


 
 
 著作権の問題でこのデジタルマップル地図とGoogleマップしか掲載できなが、国土地理院の1/25000地形図やゼンリンの住宅地図で見ると一目瞭然だ。しかも、この地点には現在も複数の工場の記号が書かれており、「郷開工業団地」となっていた。また、国土交通省が提供するWebマッピングシステムでこの地点を見てみると、よりはっきりとこの地点に大規模な工場があったことが分かる。下の写真で白破線で囲んだ部分が鏡工場と思われる地点だ。昭和49年撮影と少々古い写真であるため、現在の地図と違い工業団地ではなく一つの区画になっており、一部に工場らしき建物が写っている。
 
 
予想外の大発見

パソコンとは便利なものだ。カシミールというソフトを使ってみて、この鏡工場と予想しているポイントの鳥瞰図を作ってみた。これはデジタルマップの上で、指定したポイント(緯度経度・高度)からの風景を見ることができる機能を利用したものだ。標高データで正確な地形描写をしてくれるので、本来は山岳風景などシュミレーションして楽しむものだ。しかし、どうだろう。この二つの風景、工場の先の平野部から八代海、その先の天草の山々の描画はほぼ同じように見えないだろうか。
 

   
 
え?そんなことはどうでもいいから、早く現地へ行ってこい?ごもっともだが、この机上(パソコン)調査も大切な楽しみの一つ。こんなことをしながらムフフとパソコンに向かっていたら、ある不自然な“線”に気付いた。JR鹿児島本線の有佐駅付近から工業団地へ延びている太い白線で描かれた道路だ。なんとも微妙なカーブを描きながら延びているように思える。すかさずWebマッピングシステムにアクセスして確認だ!工場から有佐駅に延びる線を探してみると…。そこで驚愕するモノを目にしたのだ!まずはご自分で下の画像を確認してもらいたい。まぎれもなく“引込み線”だ。
 
 
 Webマッピングシステムのこの画像は1974年のものだが、何時頃まであったのだろうか。元画像を等倍で見て頂くと、有佐駅構内からレールが分岐して工場に延びていく引込み線がハッキリと映っている。ここでもう一度、鏡工場鳥瞰図を良く見てみる。ん?なんか煙が…!あ!貨車を引く蒸気機関車らしきものが描いてある!しかも工場の敷地の外へ延びていく線路らしいモノも描かれているではないか。この鳥瞰図は大正5年に作成されたとあるので、そのころから引込み線もあったのだろうか。九州の廃線関係の書籍なども一通り目を通していたつもりだが、この鏡町に引込み線が存在していたとは知らなかったし予想もしてなかった。パソコンに向うだけでも“発見”はあるものである。
 
 
 まったく予想もしていなかったものまで発見でき、机上調査としては大収穫・大成功だ。これは早く現地へ行かなくては!!。…。あっ、小千代橋はどこなんだろう…。そう、小千代橋は机上調査ではその所在は分からずじまいだ。しかし、工場跡地の検討は付いている。小千代橋はその周辺を探してみることにして、とにかくは現地、鏡町へ出発だ!

 

次回はいよいよ現地調査!
つづく