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日窒鏡工場跡・小千代橋 No.03
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調査実施:2005年10月 報告書作成:2006年2月1日
       

現地調査

 日窒鏡工場の跡地の見当はついているが、小千代橋の所在地は分かっていない。しかし、文献には「鏡工場の前にかけられた…」とあるので、まずは工場跡地を確認してからその周辺の橋を調べてみよう。そんな適当な考えで鏡町へ向かった。

出合いは突然に

 県道14号を鏡町中心部で西へ曲がり、鏡工場跡地と思われる地点へと向かうと、密集した建物の合間から小川が見えた。この小川というか水路のような小さな流れは八代海へとそそぐ鏡川だ。この川には史跡に指定されている石橋があったり、水面に覆いかぶさるように迫り出した建物があったりして、風景として面白いので少し寄り道をしていた。
 

   
 
 横道にそれ随分狭い道に車で入ってしまったので、元の道へ戻ろうとしたところに小さな橋が見えてきた。「お、アレを渡れば元来た道に戻れるぞ」そう思いながら橋を渡ろうとしたとき、チラッと銘板が目に入った…。「小千代橋」。えええ!?これが小千代橋???見たところ鉄筋コンクリート構造で、長さ約10m、幅は4mほどだろうか。確かに「小千代橋」と書いてある。なんともあっけなく発見できてしまったが、まだ喜びは半分で疑心暗鬼だ。なぜなら、この小千代橋は鏡町中心部の住宅や古い商店などが密集している場所にあり、工場跡地と思われる地点より300mほど離れている。文献の「鏡工場の前にかけられた…」という記述とは食い違っているのだ。この小千代橋は私が探している「小千代橋」なのか?
 
   

 
捜し求めていた小千代橋なのか…

 幸い周辺は、商店や住宅などが密集しており人通りもある。この橋の名前の由来を知っている人がいないか、近所の人に聞いてみることにした。小千代橋から見える範囲に雑貨店があり、店内に80歳くらいのおばあちゃんと中年女性がいたので早速話をしてみた。おばあちゃんは私の話を興味深く聞いてくれたが、「いやあ〜、小千代橋の名前の由来は聞いたことないねえ」。地元では有名な話で、お年寄りは皆知っているかな、って思っていたのでちょっとガッカリだ。向かいの商店の中年女性に聞いてみるも「私はよそから来たから知らないねえ」だった。
 あきらめきれずに小千代橋周辺を歩いていると、住宅の玄関前で干し柿用に柿を剥いているおばあちゃんを見つけた。小千代橋のことを聞いてみると、ちょっと驚いた顔をしたが、「私らが聞いている話では、日産化学(日窒と勘違いしていると思われる)の社長さんの二号さんの名前が小千代さんといって、その名前が橋の名前になったみたいよ。小千代さんは芸者さんで、とてもきれいな人だったそうよ。」という話をしてくれた。よし!この橋が間違いなく小千代橋だ!文献の記述とは少し位置が違ったが、このおばあちゃんの話はなんとも心強い裏づけになる。もう「あなたのお探しの小千代橋はこの橋です。正解ですよ!」と言われているようで、おばあちゃんの話に耳を傾けながらも、嬉しさのあまりニコニコ(ニヤニヤかも…)していた気がする。
 

   
 
 写真でお分かりかと思うが、ちょうど改装工事の最中だったようだ。大部分がキレイに化粧直しされており、橋の裏側などの塗装を残すだけのようで外側に足場が残っている。そうだ!改修工事をしている橋の管理者(八代市)だったら、もっと詳しく小千代橋の由来について分かるはずだ。後日、八代市鏡支所に問い合わせたところ以下のような回答を頂いた。
 
日本窒素の野口氏が他界した妻(小千代さん)の供養と町民への感謝の意味で寄贈(石橋か木橋かは不明)。その後老朽化に伴い、昭和31年に現在の橋に建造。その橋も老朽化が進んだため、現在改修工事中。

 また、同時に鏡町の広報誌「広報かがみ」に小千代橋の紹介がされていることを教えてもらうことができた。それによると大正7年に野口遵は、前年に亡くなった妻の供養とお世話になった町民への感謝の意味で鏡川に橋を一基寄付したいと申し出る。そしてその橋の名前は妻の名前である「小千代橋」と命名されたとある。ここでは小千代さんが“妻”になっているが、野口遵は明治39年8月に千賀子さんという人と結婚しているので“本妻”ではない。ただ、野口は小千代さんとの間にも二児をもうけており、地元の人にしてみれば“格別に仲の良い”二人はまさに“夫婦”に見えたのだろう。

 ともあれ、このような何の特徴もない小さな生活橋にも歴史があり、現在も地元で語られているのは面白いことだ。今回は1冊の文献と航空写真、それから私の根拠無き推理だけで、偶然かもしれないがどうにか小千代橋にたどり着いた。対象としては地味かもしれないが、このような文献の中の小さな記録を辿ることも、とても楽しいものだと気付くことができた。
 


 
 後回しにするつもりだった小千代橋が最初の“発見”となってしまい、興奮冷めやらぬまま日窒鏡工場跡と思われる地点へと車を走らせた。

 


つづく